政治と経済
根本的な原因 − フランス・パリの同時多発テロと報復の連鎖
Glass Story
テロの根本的な原因
テロの被害に遭ったパリ、世界中で捧げられる祈り。そして、即座に報復攻撃を始めたフランス空軍。
哀悼の意を表することに、「なぜフランスのときだけ」という疑問の声がある。中東では、欧米を中心とした有志連合の誤爆で、罪のない子供たちも含めて数多くの一般市民の犠牲者が出ている。
また、この報復には「対症療法ではないか」という批判も挙がる。もっと根本的な原因に目を向けるべきだ、と方々の識者は言う。
それでは、この泥沼の報復合戦、負の連鎖の、「根本的な原因」とは一体何か。
格差社会によって生じた各国の貧困や根深い宗教差別なのか、米国のイラク侵攻なのか、石油利権なのか、それとも、第一次大戦後に欧州が恣意的に引いた国境線なのだろうか。
もちろん、浅学な僕には細かいことはさっぱり分からない。
自分の病気の「根本的な原因」さえも考え始めると複雑で雲散霧消するのに、中東と欧米の衝突について理解が及ぶはずもない。
それでも、武力による報復が、「根本的な原因」を捉えたものではない、ということだけは確信できる。
“悪いやつを殺すことが一番の解決法だ。”
そこに潜んでいるのは、「悪さの原因は、悪さの出所にあるのだから、それさえ切除すれば健全な世界が訪れる」という思想である。
その行く末は、無限に広がっていく「悪さ」の拡大解釈と、決して終わらない「処刑」、そして優生思想なのだ。
“××さえ排除すれば、僕たちの世界に平穏が訪れる。” だから、「処刑」する。
短期的に苦痛を取り除くための「対症療法」は、たちまち「原因」に吸収されていく。
だからと言って、「根本的な原因」を探ることも、その原因に適切な処置をほどこすということも、深い闇の底、到底手の届かないことのようにも思える。
夏目漱石の病
かつて夏目漱石は、ある随筆で、再発を繰り返す自身の慢性的な胃の疾患について、次のようなエピソードを書いている。
療養中の漱石が書斎で休んでいると、来客の多くが、「すっかりお治りですか」と尋ねてくる。
彼は、そのたびに「ええまあどうかこうか生きています」と答えていた。
その言葉に、漱石自身も納得がいってなかったが、他に適当な言い回しも見つからなかった。
そのことを門弟に相談すると、門弟は、「そりゃ治ったとは言われませんね。そう時々再発するようじゃ。まあもとの病気の継続なんでしょう」と言った。
継続、それは妙案だ、と漱石は思った。
以来、「お治りですか」と尋ねられるたびに、漱石は「病気はまだ継続中です」と答えるようになった。
ところで、その「継続」について説明するとき、漱石は欧州の戦争を引き合いに出したと言う。
こうして座って話ができるのは、天下が太平になったからではなく、ひととき、塹壕のなかに入って病気と睨めっこをしているに過ぎない。
そして、その随筆の最後で、漱石は、「継続」と、その「根本的な原因」に関して複雑な思いを巡らせている。
私は私の病気が継続であるという事に気がついた時、欧州の戦争もおそらくいつの世からかの継続だろうと考えた。
けれども、それがどこからどう始まって、どう曲折して行くかの問題となると全く無知識なので、継続という言葉を解しない一般の人を、私はかえって羨ましく思っている。
『硝子戸の中』夏目漱石著
原因を取り除けば健全だ、悪いやつを殺せば平和だ、という意見が広まっていくにつれて、本棚の前や、iPodを操作しながら、一抹の寂しさが僕の胸に去来する。
あの言葉も、この音楽も、その”悪いやつを殺すことが一番の解決法だ”という、もっともシンプルなテーゼに抵抗するために存在するのではなかったのか、と。
僕は、「根本的な原因」と根治ということを、いつも考えている。
決して単一とは言えないし、永遠に解答も出ないかもしれない。
でも、それこそが、「考える」ということを与えられた人類の存在意義だと僕は思う。
ちなみに、テロリズムの言葉の意味を調べてみると、「一定の政治目的を実現するために暗殺・暴行などの手段を行使する」とある。
この文言の意味を、広く解釈すると、案外「根本的な原因」は、僕たちの内側にあるのかもしれない。


